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◎小石原 (場所) 読み:こいしわら 都道府県:福岡 開窯期:17C 器種類:陶器 歴史/特徴:福岡県朝倉郡小石原村の窯。天和2(1682)年に伊万里の陶工を招いて中野皿山に開窯。飛び鉋(かんな)、刷毛目、櫛描き、指描、掛け流し、内掛けなど装飾技法に特色がある。一時は福岡藩の御用窯をつとめたが遠隔地であるためしだいにすたれた。近年道路の開通により、陶郷として観先客の訪れも多く、民芸窯として発展している。 |
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◎高取 (場所) 読み:たかとり 都道府県:福岡 開窯期:17C 器種類:陶器 歴史/特徴:慶長5(1600)年黒田長政が文禄・慶長の役の時につれ帰った朝鮮人陶工八山(パルサン:後に高取八蔵重貞)が福岡県鞍手郡鷹取山々麓に築窯させたのが始り。のち内ヶ磯、山田に移り雅品を出した。これを古高取という。寛永7(1630)年に白旗山麓に築窯、茶人小堀遠州の指導を受け優品を出した。これを遠州高取とよぶ。のち小石原に窯を築き小石高取と称し、東山のものを東山高取という。初代八山のつくった素朴で重厚、白釉、黒釉、飴釉の施されたやきものを俗に古高取といい、古唐津によく似ている。高取焼は形が端正で釉の微妙な味が珍重される。遠州好みの七窯の一つとして有名。明治維新まで黒田家の藩窯として盛んに焼き、現在福岡西新町にはその流れをくむ窯がある。 |
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◎上野 (場所) 読み:あがの 都道府県:福岡 開窯期:17C 器種類:陶器 歴史/特徴:豊前(福岡県)田川郡赤池町上野で陶器を焼造した。文禄・慶長の役(1592-1598)のとき、慶長5(1600)年、または慶長7(1602)年に大名茶人細川忠興(ただおき:細川三斎)に従って渡来した朝鮮陶工尊楷(そんかい:上野喜蔵高国)が、はじめ小倉城下菜園場村で築窯したが、慶長10(1605)年福岡県田川郡上野の福知山の麓に築窯。釜ノロ、皿山本窯、岩谷などに窯跡が残る。細川氏が肥後に国替えになると喜蔵は長男、次男とともに肥後に移り、高田焼(八代焼)を興す。三男の十時孫左衛門(ときまござえもん)と娘婿の渡久左衛門は残って上野焼を続けた。更に分家し吉田姓を称え、三家は業を続けたが、上野焼は、明治維新により藩の保護を失い民窯となって廃絶するが、明治35(1902)年に熊谷九八朗により復興された。上野焼はもともと茶陶として始められたので釉薬は地味な色合いが多く、初期の作品は土灰釉、藁灰釉、鉄釉などを使用し、作行は古唐津や古高取に酷似している。次第に鮮やかな色合いの釉薬が使われるようになった。九州の陶磁器の中では、薄手で軽いのが特徴。遠州七窯の一つ。 |
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◎柳川 (場所) 読み:やながわ 都道府県:福岡 開窯期:17C 器種類:? 歴史/特徴:筑後柳川藩内の土器で、蒲池焼(かまちやき)ともいう。慶長年間(1596-1614)蒲池村家長彦三郎方親が肥前名護屋から来て造ったのがはじめといわれる。炮烙は膚白く、緻密で黒色の斑文があり茶人に愛好される。 |
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◎有田 (場所) 読み:ありた 都道府県:佐賀 開窯期:17C 器種類:磁器 歴史/特徴:有田は日本ではじめて磁器が焼かれた磁器発祥の地。その起源は、文禄・慶長の役(1592-1598)で朝鮮から連れてこられた陶工李参平(りさんぺい:後に金ヶ江三平)が元和2(1616)年に有田泉山で白磁の原料となる陶土を発見し、磁器の焼成に成功したというのが一般的な創始説。しかし近年の調査では、慶長10(1605)年頃には既に染付けや青磁が焼かれていたことが判明している。また、李参平以前に有田皿山で作陶していた家永正右衛門による創始説もある。「有田焼」という呼称は、明治以降の製品に対して用いることが多く、江戸時代には「伊万里焼」と呼ばれていた。有田で焼かれた磁器は、有田川を下った伊万里港から国の内外に積み出されたため、「伊万里焼」と呼ばれていた。 |
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◎伊万里 (場所) 読み:いまり 都道府県:佐賀 開窯期:17C 器種類:磁器 歴史/特徴:伊万里の名は世界に知られたが、それは佐賀県有田町及びその附近一帯で焼かれた磁器が伊万里から船積みされて輸出されたからである。古伊万里と呼ばれる磁器は、有田で焼かれたもの。寛永(1626-1641)末、酒井田柿右衛門が赤絵焼成に成功してから赤絵は非常に発達し、主流は従来の染付白磁から色絵磁器に転じ、伊万里港を経て販売されたので伊万里焼の名が全国に拡まり海外にも輸出された。伊万里焼の初期作品は古調を帯びているが、普通いう伊万里の色絵は濃麗なもので、オランダ船を描いた俗に五艘船というのは特に珍重される。伊万里焼は、元は鍋島藩の官窯で明治の廃藩の時に、民窯としていくつかの窯元が継承した。現在は、伊万里市付近で焼かれた磁器が伊万里焼と呼ばれる。 |
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◎唐津 (場所) 読み:からつ 都道府県:佐賀 開窯期:16C 器種類:陶器 歴史/特徴:肥前、今日の佐賀県東松浦郡、西松浦郡、小城郡、杵島郡、藤津郡、長崎県北松浦郡、東彼杵郡の百余の窯で焼成されたもの。製品が主として唐津港から出荷されたので、この名が起こった。唐津焼は、唐津に近い岸嶽窯が先駆をなし、南北朝または室町の初期に興り、文禄年間に廃絶したと伝えられている。その頃のものは古唐津と称し茶人は珍重した。慶長から元和(1596-1624)にかけて最も盛んにつくられたが、それらの窯はいずれも文禄・慶長の役(1592-1598)で帰化した朝鮮人陶工の開いた窯と推定されている。素地は、砂目の堅い重い土で、やや鉄分を含み、焼き上がると暗い鼠色になるものが多い。朝鮮風の古撲な日用雑器を焼いたのをいう。李朝陶器の趣濃くまた志野、織部と似たもの、楽焼の影響あるものもある。またその風趣は各地に影響を与えた。釉薬は、長石に雑木の灰を混ぜた土灰釉が一番多く、作行きは素朴重厚である。釉薬・文様から斑唐津、絵唐津、朝鮮唐津、黄唐津、黒唐津などに分けられる。 |
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◎鍋島 (場所) 読み:なべしま 都道府県:佐賀 開窯期:17C 器種類:磁器 歴史/特徴:肥前(佐賀)鍋島藩が西松浦郡大川内山(現在の伊万里市大川内町)に築いた御用窯で磁器を焼かせた。鍋島藩の藩窯は最初、岩屋川内にあり、南川原山へ移り、さらに延宝3(1675)年、あるには享保年間(1716-1735)に黒髪山北麓の大川内山に移された。この地は三方が厳しい岩山に囲まれ天然の要害のような所で、技法や窯の秘法が他に漏れるのを防ぐのに適していた。また、良質の青磁の原石が算出する山が近くにあった。日本製陶技術の最高水準を示すものとして有名で、練達の工人を集め分業制をとり、材料、技法に厳選を重ねた。作品には染付、色絵、青磁等があるが、色絵は色鍋島と呼び特に有名。色鍋島の主な作品は皿で、器形は整正、絵付は中国風を用い独特な図案を工夫し、筆づかいが精妙でまことに優麗なものである。その製品は藩主の御用に供されるほか贈答品や幕府への献上品とされた。 |
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◎白石 (場所) 読み:しらいし 都道府県:佐賀 開窯期:19C 器種類:陶磁器 歴史/特徴:平安時代頃に須恵器などが焼かれていたといわれるが、文化3(1806)年白石藩の藩主鍋島直高公が、大川内山から陶工を呼び寄せ御用窯を築き、この地で磁器を焼かせたのが始まりとされている。白石焼の基礎は、安政年間に京都からきた陶工臼井走波によって作られたが、明治には生産が急速に衰え、磁器の生産はなくった。 |
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◎波佐見 (場所) 読み:はさみ 都道府県:長崎 開窯期:17C 器種類:磁器 歴史/特徴:波佐見焼は、文禄・慶長の役(1592-1598)で大村藩主大村喜前(よしまえ)によって連れてこられた朝鮮陶工李祐慶兄弟によって始められた。慶長4(1599)年波佐見町村木の畑ノ原、古皿屋、山似田の三ケ所に連房式階段状登窯を築き、初めは施釉陶器を焼いていたが、村内に白磁の原料となる磁石が発見されてから磁器が焼成された。陶芸の里中尾山には、全長160M標高差35M、33室あった世界最大級の登窯の中尾上登窯跡がある。江戸時代には唐草模様を簡略に描いた「くらわんか碗」や「コンプラ瓶」などで有名。江戸後期には、隣接の大窯業地有田の名の下に隠れたが、染付磁器では日本一の生産量を誇った。現在は、透けるような白磁の肌に呉須の絵付、優雅な透かし彫りや網目文様を基本に、伝統的な日常食器からモダンなギフト用食器まで幅広く作っている。 |
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◎三川内 (場所) 読み:みかわち 都道府県:長崎 開窯期:17C 器種類:磁器 歴史/特徴:文禄・慶長の役(1592-1598)で平戸藩主松浦鎮信(しげのぶ)が連れ帰った朝鮮陶工巨関により慶長3(1598)年藩窯として始まった。最初、平戸の中野村に開窯されたが、寛永11(1634)年長崎県佐世保市三川内に移された。今村の姓を与えられた子の三之丞が磁器焼成に成功した後、寛文2(1662)年その子彌次兵衛如猿(今村弥次兵衛?)の天草石発見(他説あり)があり白磁を焼くようになった。以来今日まで肥前(佐賀)の主要陶地の一つである。製品には色々あるが精巧な白磁、青磁が有名で、また細工物に優れている。正徳2年から染付、錦手など磁器にすぐれたものがみられる。平戸焼とも呼ばれる。 |
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◎現川 (場所) 読み:うつつがわ 都道府県:長崎 開窯期:18C 器種類:陶器 歴史/特徴:元禄年間(1688-1703)田中宗悦が長崎県西彼杵郡矢上村字現川に興した窯とも、寛永年間(1624-1643)に漂着した韓人の創始になるともいう。あるいは、長崎市現川名で焼かれた陶器で、元禄5(1692)年に田中五兵衛が子の甚内と創業し、寛保(1741-1744)頃に廃窯したともいわれる。作りは薄作りで刷毛目に簡素な文様を施し、絵付には白土、鉄、胆礬(たんぱん)、呉須などをつかっている。古現川には印款がなく、明治年間馬場藤太夫が再興してから窯印を用いたという。 |
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◎亀山 (場所) 読み:かめやま 都道府県:長崎 開窯期:19C 器種類:? 歴史/特徴:長崎市伊良林町大窪山で焼かれた。文化元(1804)年に始り、次第に衰えたが、安政年間いったんは再興されたが、再び経営不振から廃絶した。素地は伊万里焼に似ているが、製品の種類は雑多。幕府への献上品、諸藩の注文品を多く焼き、中国へも輸出された。 |
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◎長与 (場所) 読み:ながよ 都道府県:長崎 開窯期:17C 器種類:? 歴史/特徴:長崎県西彼杵郡長与村にあった肥前大村落の御用窯。寛文7(1667)年、あるいは寛政4(1792)年長与村の市次郎なるものが創始したという。のち波佐見村稗木場(ひこば)から太郎兵衛なるものが来て大量生産につとめたが、文政年間(1818-1929)廃絶に至った。作品には藩御用の精巧なものと、一般需要に応じた下手な染付がある。元禄頃が盛期と思われる。三彩の製品が著名。 |
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◎鵬ヶ崎 (場所) 読み:ほうがさき 都道府県:長崎 開窯期:18C 器種類:? 歴史/特徴:文政年間(1804-1817)蒲池子明が長崎の鵬ヶ崎に窯を築いた。雅趣に富んだ土焼で自作の詩文を刻したもの、文人墨客との合作、刷毛、三島、南蛮写等あり、煎茶器が多い。 |
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◎平戸 (場所) 読み:ひらど 都道府県:長崎 開窯期:17C 器種類:? 歴史/特徴:文禄・慶長の役(1592-1598)で平戸藩主松浦鎮信(しげのぶ)が連れ帰った朝鮮陶工巨関により慶長3(1598)年藩窯として始まった。最初、平戸の中野村に開窯されたが、寛永11(1634)年長崎県佐世保市三川内に移された。今村の姓を与えられた子の三之丞が磁器焼成に成功した後、寛文2(1662)年その子彌次兵衛如猿(今村弥次兵衛?)の天草石発見(他説あり)があり白磁を焼くようになった。以来今日まで肥前(佐賀)の主要陶地の一つである。製品には色々あるが精巧な白磁、青磁が有名で、また細工物に優れている。正徳2年から染付、錦手など磁器にすぐれたものがみられる。三川内焼とも呼ばれる。 |
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◎小鹿田 (場所) 読み:おんだ 都道府県:大分 開窯期:18C 器種類:陶器 歴史/特徴:宝永2(1705)年、天領であった日田(大分)の代官が小石原の陶工柳瀬三右衛門らを招いて窯を築いた。一子相伝で技法を伝え、今でも水力による唐臼で土をつくとのこと。小鹿田は昭和6(1931)年に民芸運動の柳宗悦(むねよし)が「工藝」に紹介したり、昭和29(1954)年と同39(1964)年にイギリス人陶芸家バーナード・リーチがこの地に滞在し作陶を行った。技法は元々小石原から伝えられたものだが、青緑釉だけのもの、黒褐色の器肌に白釉や青緑釉の流し掛けにしたものは小鹿田焼特有。白絵、刷毛目、指描き、櫛描き、流し釉など多種類の技法を使用している。製品には壼、鉢、皿、土瓶、茶碗、片口、摺鉢などがある。 |
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◎高田(八代) (場所) 読み:こうだ(やつしろ) 都道府県:熊本 開窯期:17C 器種類:陶器 歴史/特徴:熊本県の陶窯で八代焼ともいう。寛永9(1632)年に、または寛永10(1633)年豊前(福岡)上野焼(あがのやき)の陶工尊楷(そんかい:上野喜蔵)が長男忠兵衛とともに、細川忠利の転封に従って肥後国(熊本)八代高田郷奈良木村に築窯。喜蔵の没後、万治元(1658)年豊原村平山に移り「平山焼」とも呼ばれ、藩の御用窯として栄えた。初期の高田焼は古上野(こあがの)の粗い土肌に釉をかけたやきもので朝鮮風黒飴釉の茶壷、茶碗を作り、正徳年間(1711-1716)の四代藤四郎のころから白、黒象嵌の手法を主とするようになった。江戸中期になって漉土(こしつち)が使われるようになり、象嵌青磁(白土象嵌)の技法を完成。技法は素地に文様を彫り込んだり、印で文様を押してくぼみに白土を埋め込む。あるいは、全体に白土を塗って文様の部分を掻き落としたりする。 |
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◎小代(小岱) (場所) 読み:しょうだい 都道府県:熊本 開窯期:17C 器種類:陶器 歴史/特徴:松風焼、五徳焼、牝小路焼(ひんのこうじやき)、竜の原焼等ともいう。寛永9(1632)年、細川氏の肥後移封に伴い、丹後の陶工源七(牝小路家の祖)と豊前上野の陶工八左衛門(葛城家の祖)の二人が肥後玉名郡南関郷宮尾村(熊本県玉名郡南関町宮尾)小岱山北麓に窯を築いたのが始まり。この二家と瀬上家が藩の御用窯として朝鮮系の技法を受け継いできたが、明治から大正にかけていずれも廃窯した。のちに、近重治太郎(ちかしげじたろう)や城島平次郎などが復活させた。作品は、鉄分が多い土胎に「うのふ」と呼ぶ白濁失透性の釉薬をかけたものが特徴。 |
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◎高浜 (場所) 読み:たかはま 都道府県:熊本 開窯期:? 器種類:? 歴史/特徴:(手持ち資料に詳細記述なし) |
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◎内田皿山 (場所) 読み:うちださらやま 都道府県:熊本 開窯期:? 器種類:? 歴史/特徴:(手持ち資料に詳細記述なし) |
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◎苗代川(串木野) (場所) 読み:なえしろかわ(くしきの) 都道府県:鹿児島 開窯期:16C末〜17C初 器種類:? 歴史/特徴:文禄・慶長の役(1592-1598)で島津義弘に伴われ、連れたこられた陶工は80人。その中の陶工朴平意の率いる一群男女43名は慶長5(1600)年に鹿児島県串木野島平に開窯したが土地の人々の迫害に合い、わずか5年後の慶長10(1605)年に鹿児島県日置郡苗代川(現在の東市来町美山)に移住した。島津義弘の寵を受けた平意は清右衛門の名を与えられ、苗代川の庄屋を命ぜられ、重豪が継ぐ頃、明和から寛政にかけて全盛期を迎えた。当初は「黒もん」を作ったが、二代目朴平意と初代沈当吉が指宿郡成川で白土を発見し「白もん」を手がけるようになった。「白もん」は、名工沈寿官が代々名品を生み出した。苗代川の技法は貼付紋であり指頭模様である。刷毛目、三島手を模し、幕末には錦手を多く出している。薩摩焼の起りであり、現在も盛んである。 |
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◎龍門司 (場所) 読み:りゅうもんじ 都道府県:鹿児島 開窯期:17C 器種類:? 歴史/特徴:鹿児島県姶良(あいら)郡加治木町で焼かれた陶磁器で、苗代川焼とともに薩摩焼を代表するものの一つ。元和6(1620)年島津義弘の加治木窯が廃止となったあと、寛永8(1631)年家久の子忠朗が朝鮮陶工芳珍の子小右衛門を招いて、加治木城下山元で開窯させた。その子山元碗右衛門が寛文4(1664)年加治木町小山田に移窯し、再び現在の茶碗屋付近に移った。碗右衛門の頃、芳寿(川原藤兵衛重治)が加わり、その次男芳工(十左衛門)もともに名工で、芳工は龍門司中興の祖といわれる。芳工は龍門司の製法を改革しその子弥五郎とともに磁器を製出した。また寛政5(1793)年竪野の陶工星山仲兵衛と共に京焼の技法を導入した。明治15(1882)年川原源助は、錦光山宗兵衛と輸出品の製造をはじめ業がおおいに振るった。製品は日用雑器が主で、俗にいう黒薩摩つまり黒もの、黒釉、赤褐釉、鮫肌釉、蛇蝎釉、白土象嵌の三島手、飛び鉋(かんな)、白釉に緑釉と飴釉の龍門司三彩など様々なものを取り入れている。 |
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◎鹿児島長太郎 (場所) 読み:かごしまちょうたろう 都道府県:鹿児島 開窯期:? 器種類:? 歴史/特徴:明治31(1898)年、御庭焼の絵師、初代有山長太郎が鹿児島市谷山に開窯したのが始まり。「黒もん」の日常用品を焼いていたが、現在は磁器に黒マット釉を掛けているため堅牢で使いやすい。 |
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◎指宿長太郎 (場所) 読み:いぶすきちょうたろう 都道府県:鹿児島 開窯期:? 器種類:? 歴史/特徴:鹿児島長太郎焼とは兄弟窯。昭和27(1952)年、卓越した技術をもっていた三代長太郎の有山流石が三男禮石をともない指宿に開窯したのが始まり。「黒もん」もあるが、土作りから釉薬まで工夫を凝らし、器形はユニークで伝統にとらわれない自由で明るい器が多い。 |
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◎竪野 (場所) 読み:たての 都道府県:鹿児島 開窯期:17C 器種類:? 歴史/特徴:鹿児島竪野にあった薩摩藩の御用窯。文禄4(1595)年島津義弘に従い渡来し、薩摩焼の初祖となった朝鮮陶工金海(星山仲次)が、元和元(1615)年に開窯したのが始まり。以来藩窯として続けられ幕末に至って廃絶した。その後良工が輩出し、再三京都に陶法を学ばさせ寛政(1789-1800)頃から錦手を作った。 |
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◎帖佐 (場所) 読み:ちょうさ 都道府県:鹿児島 開窯期:16C末〜17C初 器種類:? 歴史/特徴:文禄4(1595)年島津義弘に従い渡来した朝鮮陶工金海(星山仲次)によって、鹿児島県姶良(あいら)郡帖佐村(帖佐宇都、姶良町)に開窯したのが始まり。茶碗、茶入、水指などが多く、原土と釉薬を朝鮮からもって来て製作したといわれる「火計り」がある。薩摩焼(鹿児島県産陶磁器の総称。古帖佐、元流院、串木野、苗代川、龍門司、竪野、磯御庭、田之浦、笠野原、平佐などの諸焼。一般的には狭く薩摩錦手を薩摩焼ともいう。)の源流とされる。加治木移城とともに7年で終わったが、加治木で御里窯を始め十余年の間行われた。古帖佐の茶陶にはこの窯の製品が多いといわれている。 |
| ・小石原 | ・高取 | ・上野 | ・柳川 | ・有田 | ・伊万里 | ・唐津 | ・鍋島 | ・白石 | ・波佐見 |
| ・三川内 | ・現川 | ・亀山 | ・長与 | ・鵬ヶ崎 | ・平戸 | ・小鹿田 | ・高田(八代) | ・小代(小岱) | ・高浜 |
| ・内田皿山 | ・苗代川(串木野) | ・龍門司 | ・鹿児島長太郎 | ・指宿長太郎 | ・竪野 | ・帖佐 | (・最初の説明) | ||
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